幕末とは???
PARTV〜現代と幕末の違い〜
このページでは、「現代(又は他の時代)とは違う幕末」の面を取り上げてみました。
@「くに」という概念
幕末の志士達に対して、よく「彼らは国を守ろうとして・・」という言い方がされています。
しかし、当時「国」という場合は、「おくに」=自分の藩や村を指しました。
まだ国=日本全土、という概念はあまり浸透していなかったと思います。
現在の日本と同じ「国家」という概念を、最も早く持っていた人物は勝海舟(や横井小楠)ではないかと管理人は思っています。
そしてその影響を受けたのが、後(晩年)の坂本龍馬だったと思われます。
近藤勇や土方歳三など、多摩の農民たちにとっては、まず幕府という大きな存在があって、それに自分達が報いる(忠義を尽くす)ことが大事、故郷の多摩にとっても良い事だ、と考えていたであろうと管理人は思います。
ただし、近藤は幕府の人間と実際に関わっていくうちに、この幕府に対して失望を感じるようになっていきます。
現代から見ると、坂本龍馬や薩摩、長州藩など、後に倒幕派となる側の人達の考えが「まとも」「正しい」と思われる方が圧倒的だと思われますが、幕末当時は決してそうではありませんでした。
1万円札の顔にもなっている福沢諭吉も、後年過去を振り返り、幕府がなくなったことに対して大変驚き「まさかそうなるとは思わなかった」というような話を残していました。
補足:
後に倒幕側となる薩摩藩(現・鹿児島県)や長州藩(現・山口県)、そして龍馬のいた土佐藩(現・高知県)は、関が原の合戦で豊臣方についた外様大名であり、幕府に対する忠誠心の低い藩風ではありました。
一方幕末に最後まで幕府側として戦う会津藩(現・福島県)は関が原で徳川についた譜代大名でした。
A標準語のない時代
いわゆる「地方のなまり」が今よりもはるかに強かった時代であった幕末は、いろんな「おくに」から来た志士達が議論を交わしていくのですが、なまりが強くて相手の話が理解できず、文書で交わしていたことも多かったようです。
☆志士達は多くの手紙や文書、詩や絵画、または写真を残しており、それらの資料から、自由に彼らの人となりを想像することができます。
彼らが残した文章は、とても喜怒哀楽の感情表現が豊かなものが多く、現代の私達でも親しみを持って接することができる内容が少なくありません。
B名前について
昔の人は名前をころころ変えたり、いくつも名を持っていたりします。
近藤勇の場合、幼名は勝五郎の他に、「諱=いみな:生前口にすることのない実名(本名)」として昌宜という名がありました。
そして養子に入ってからは勝太、天然理心流の4代目となってからようやく近藤勇となり、さらに後々別名として近藤内蔵助、大久保大和と名乗るなど、いろんな名前に変化しています。
また、倒幕運動をしていた頃の薩長などの志士達は、身を守るために変名を使ったりしています。
そして永倉新八のように、明治以降も生き延びた人達も、変名を多く使っていたようです。
C人気の戦国時代とは見方が異なる所
戦国が人気がある、というのは視聴率のデータからも見られます。
実質的に、その時代を引っ張って行っているリーダーがよくわからないのが幕末です。
幕末は、派閥などの集団だけでとらえて見ていくよりも、個人を通して時代を見ていく方が、案外視界が良くなり、なおかつ面白くなるように思えます。
幕末は、政治思想が発達し、いろいろな考えを持つ人間がでてきましたが、一方で、そういう思想は持たないで、藩という枠を飛び越えて駆け抜けた人物もたくさんいました。
年齢も多くは20〜30代ですが、10代あり、40、50代あり、と色とりどりです。
そして、封建社会でありながら、身分も立場の垣根も超えて議論したり、共に活動しているのも幕末の特徴です。
ちなみに幕末の人口は3千5百万人程度です。
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