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幕末の思想

1・尊王(勤皇)  2・佐幕  3・倒幕  4・攘夷  5・開国
 
6・公武合体  7・王政復古  8・富国強兵  9・一君万民

<幕末諸藩の思想の変化(大まかに表記してます)
諸藩・朝廷
黒船来航時(1853.6)
薩長連合(1866.1)の後
徳川幕府
開国&幕政維持(=佐幕)
→幕府崩壊へ
会津藩
(ここでは
新選組も含む)
開国より&佐幕
→開国&佐幕
薩摩藩
(西郷隆盛など)
開国&佐幕
→開国&倒幕
※間にイギリスとの戦争あり
長州藩
(木戸孝允など)
攘夷&倒幕
→開国&倒幕
土佐藩
(坂本龍馬の故郷※)
攘夷&佐幕
→開国&倒幕側より
朝廷
攘夷&幕府とは中立
→開国&倒幕

薩摩の西郷や長州の木戸は藩ぐるみで(つまり藩主を上手く利用したうえで)活動をしていましたが、坂本龍馬の場合は脱藩経験があり、土佐藩とは行動が異なる面が多分にあったため、「故郷」という表現を使いました。

 

  1. <尊王>
    徳川幕府に代わって、
    朝廷(=天皇を中心とする政治)を行おうとする思想。
    平たくいえば「最も偉いのは徳川幕府ではなく天皇なんだー!」
    ・・という、幕府に対する反発を込めた思想。
    「勤皇」と同じ意味と捉えていいと思います。
    主に幕府に対して反感や失望感を持つ者、朝廷を盾に実権を握ろうとする者が唱えていました。

    ただし、単に「天皇を敬う」という意味で使われることもあるようです。
    天皇家と徳川家は、完全な敵対関係にあるわけではなかったので、新選組、近藤勇も「反尊王」ではありませんし、そのような人が当時いたという話は、管理人は読んだ事がありません。

  2. <佐幕>
    徳川幕府を支持する思想。
    佐は「たすける」の意味。
    幕末当時の思想の中では最も常識的といえます。
    新選組は、立場としてはこの佐幕派に入ります。

  3. <倒幕>
    幕藩体制を嫌い、徳川幕府を破壊することを究極の目的とする思想

    ただし、破壊後についての新体制については論じていないことが多かったため、先見性が足りないという
    欠点もありました。
    倒幕派の代表は長州藩(現・山口県)ですが、幕末、特に長州藩は藩主(城主)を中心には行動しておりません。(藩主より家来のほうが過激でやかましかった(笑)しかし藩主も名君であったという話もあります。)

    ちなみに倒幕志士の多くは、明治を知ることなく死んでしまいました。
    近藤勇は、徳川家に対する忠誠心が強かったため、倒幕思想はなかったようです。
    よって、反倒幕=佐幕となります。

  4. <攘夷>
    開国や貿易を迫り来日してくる外国人をすべて討ち払うべきという思想。

    攘≒邪魔者を退けるの意味、夷は外国人の意味。

    攘夷は鎖国保持の思想ともいい換えられるのですが、200年以上鎖国状態の中にいた日本人にとって、外国船の来航による動揺と拒絶は激しく、黒船来航後に幕府が開国をしたことにより、幕府への反発を強めた人がたくさんいました。

    また当時は外国の侵入によって日本が植民地化される可能性もありました。
    諸外国が「日本人とはどんな民族か?」と窺っていたわけです。
    新選組隊士や、土佐の坂本龍馬、薩摩、長州藩士たちなどなど、「攘夷」思想は、後の「佐幕派」や「倒幕派」に関係なく、あらゆる志士が持っていた思想です。

    しかし、みな武器の威力の圧倒的な格差を知る事によって、攘夷思想を捨て、開国思想へと変化していきます。
    幕臣となった新選組は、その武器の格差を知るのが長州などの倒幕派よりも遅かったのですが、鳥羽伏見の戦いによって知った後は、土方歳三もいち早く洋装に身を切り替え、 より新たな戦術を獲得して行こうとしていったようです。

  5. <開国>
    攘夷と対極で、鎖国を止め、積極的に諸外国と接するべきとする思想。

    日本の近代化(西洋化)が究極の目的となります。

    ちなみに幕府の佐久間象山や井伊直弼が開国派でした。
    勝海舟も早くから幕命によって渡米してますので開国派と言えそうですが、勝海舟の場合は、横井小楠(よこいしょうなん:熊本藩士1809〜1869)と会ってから思想が明確になって行ったといえるようです。

    余談・井伊直弼
    (いいなおすけ:彦根藩主 1815〜1860)
    桜田門外の変で暗殺される井伊は、彦根藩(現・滋賀県)から大老(=たいろう:非常時のみ置かれる幕府の最高職)となった人。
    井伊直弼は彦根では名君としても有名だそうですが、米国との通商条約で、天皇の許しを得ぬ間に調印してしまいます。
    これには井伊なりの正当な考えと判断があったとも言われますが、このことによって井伊は攘夷派の怒りに火をつけ、暗殺される事になってしまいます。
    しかしこの事件によって、時世は大きく動きました。
    日本の歴史上、暗殺によって時代が展開した唯一の事件だったようです(確か司馬さんがそう書いてました)。

  6. <公武合体>
    徳川よりはるか昔の旧来に政治をつかさどっていた朝廷(天皇)と、政治の実権を握っていた徳川幕府を合体させ、新しい政府を創ろうとする思想。

    新選組時代の近藤勇は、どうもこの思想を持っていたようです。
    今の政治で言えば平和的ハト派(穏健派)といった所でしょ〜か?

    しかし薩摩(西郷隆盛など)や長州(木戸孝允など)は、「あくまでも倒幕実行」となり、鳥羽伏見の戦いになります。

  7. <王政復古>
    最初の天皇といわれる神武天皇の時代に戻り、天皇自らによって 政治を行うべきとする思想。

    (神武天皇:紀元前600年代の人。実在性は疑問視されている)

    1867年12月の「王政復古の大号令」が有名。

    この王政復古の大号令の前の10月、大政奉還によって徳川幕府は政権を朝廷に返上し、たてまえとしては朝廷の政権になったのですが、あくまでもたてまえで、その後も朝廷の下に徳川を中心とした大名がつき、実権は引き続き幕府側に握らせようという動きがあったため、危機感を抱いた薩長は、この大号令を出し、徳川を政権から排除しました。

    つまり王政復古の大号令=クー・デター(武力で政権を奪い取ろうとすること)だったんです。

  8. <富国強兵>
    諸外国の侵略(日本の植民地化)の危機感が大きかった幕末。それに備えるべく国力を蓄え、軍隊を早急に近代化すべきという思想。


    これは明治維新前夜から盛んに論じられた上で維新後に主流となった考えであったようです。
    大河ドラマ「新選組!」では佐久間象山が「今すぐ攘夷ではなく、開国し、国力と軍隊を整えた上で攘夷を行う」みたいなことを第一話で語っておりましたが、実際に富国強兵論とは、そういう「実力を備えた攘夷論」という側面があったようです。

  9. <一君万民>
    長州藩士・吉田松陰が唱えたもの。
    読んだ通りの意味ですが、天皇を唯一の君主とおいて、そのもとでは全ての国民が平等とする思想。

    合理性を追求した政治形態だそうです。
    「万民=天皇のもとではみな平等」というのが、士農工商のある徳川幕府時代としてはちょっと信じられないような思想ですが、吉田松陰という人は武士ながら(というか武士だから)貧しく、米つきなどをしながら書物を読んだり講義をしたりしていたそうです。
    ・・というわけで、庶民感覚があったんだろうと思います。(ただし志士活動の資金面では、藩や親類から全てバックアップしてもらっていました)

    松陰は、書物で出てきたある実在の女性を尊敬していたという話もあります。
    女性蔑視の時代に、です。
    当時の松陰が、天皇を君子とする政治体制について、どこまで具体的に考えていたかは疑問がありますが、おそらく重点を置いていたのは、「一君」よりも「万民」の方であったろうと思います。
    ところが、この重点が逆さまになって、後に吉田松陰の思想は利用されてしまったようです。



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