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 幕末人物紹介

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近藤勇(こんどういさみ)写真 

(天保5年10月9日〜慶応4年4月25日/1834年11月9日〜1868年5月17日 )
享年・数え35歳(満年齢・33歳)

<生い立ち・多摩>
近藤勇は武州多摩郡上石原村(現・東京調布市)、 百姓の宮川九次郎の三男・幼名勝太として生まれました。
※”新選組局長”となる近藤勇が「近藤」姓を名乗るようになったのは、 後に近藤周助(しゅうすけ)の養子となってから。(名前について)

勇が五歳ごろの天保10年1月11日(1839年2月24日)に母親が病死。
しかし父・久次郎は後妻をむかえず、男手一つで三人の男の子を育てました。

勇の父は非常に学問・武芸を好み、よく子守唄代りに『三国志』や『水滸伝』 などの英雄伝を読み聞かせ、明治以降?には塾を開き、教育に尽くしたそうです。
後の新選組の隊服のモデルとなる『忠臣蔵』の話についても、
近藤勇は父親から聞かされていたのかもしれません。

15歳で、剣術を学ぶために天然理心流3代目の近藤周助の所に入門し、 わずか7ヶ月後に目録を与えられるほど早く上達します。
その後近藤周助の養子となり、 万延元(1860)年、松井八十五郎(やえごろう)の娘ツネを娶り、 翌文久元(1861)年周助の後を継ぎ、 天然理心流第4代宗家となります。 その翌年には娘の瓊子(たまこ)が誕生。

剣術の稽古をしていた近藤勇が、徳川将軍の護衛という名目で、 京都へ上洛したのは文久三(1863)年のこと。

新選組になってからの近藤勇については「新選組の流れ」で近藤の最期を含め大まかに書きましたので、そちらをご覧下さい。

写真・近藤勇
写真・近藤勇
画像提供「幕末維新館

 

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